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月の歌うたい

風のうた ~詩作への旅~
拾い集めた 言葉の カケラに 
消え入りそうな 細い 風の糸を通せば
あなたから わたしへと
一陣の風が 吹き抜ける
それは やがて 
月に届く 風の歌になる



はじめに・・・誰もが詩人(歌うたい)


こんにちは
如月です。

昨今では、インターネットの普及により
自作の詩を公表する人が、ずいぶん増えたように思います。
公表の手段が、ネットだとお手軽な上に
写真やイラストも簡単に添える(借用含む)こともできたりして
美しく仕上がるという利点がパソコンにはありますね。

職業詩人については、ちょっとここでは置いておくとして
ネット上には、「アマチュア詩人」の詩がたくさん掲載されています。
人目を引くものも、そうでないものも、それはそれは色とりどりの
作者自身の「詩」の世界が、そこに繰り広げられているのを見ることができます。

でも・・・
言葉が持つ「意味」にしばられ
説明のために費やされる言葉たちの、いかに多いことか。
また、難しい言葉やカッコイイ言い回しを頻繁に使うことで
「見られる自分」を意識しているのが、読み手に伝わってしまうパターンとか。
この二つのパターンは、素人が詩を書く場合
最初に気遣うべき「心得1」と「心得2」みたいなところです。

○「心得1」は説明のために言葉を使ってしまうこと。
 書いても書いても取りこぼしてしまう気持ちを
 さらに言葉で現そうとしてあがいてしまうものです。よくあります。
○「心得2」は、「見られる視線」を意識して自分の視線を見失ってしまうこと。
 一般的にキレイな言葉や難しい漢語、かっこいい言い回しを選んだ結果
 どこかで聞いた気がする二番煎じになってしまう・・・
 などが、これに当てはまるかな。これは独りよがりにも通じていきます。



かく言う私も、「詩」とは名ばかりの
まるで説明書きのような文をひたすら書き並べたり、
誰とも共感し合えない言葉を連ねてしまうことも度々で。
   ああ、詩が書きたい・・・けど、なんて難しいんだろう・・・   
と、一人つぶやき、がっくり肩を落とす日も少なくありません。


けれど・・・
日常の中の、ほんのささやかなプライベートルームで
「ふう」とため息をつき
「あっ」と驚き
「おおう」と感激する時
私たちは、意味以前の言葉に触れています。

意味を持ちながらも、意味に縛られず
意味の奥に、ゆたかな感情を寄り添わせる・・・
そんな言葉も、またあるのではないでしょうか。
そんな言葉たちだけが本来の「詩」へと私たちをいざなうのかもしれません。
特定の言葉にその力があるのではなく
すべての言葉には、「意味する面」と「詩となる面」の両面があるのだと思います。
結局は、使い方次第、その人次第ということになるのでしょう。


口から出る言葉が すべて詩となるような
そんな世界があったとしたら・・・
誰もが詩人であるような
そんな町や村が あちこちにあったとしたら
どんなに素敵なことでしょう。


私は、このサイトで
多くの方と「詩」を作っていきたいと考えました。

心の奥の声や風景
肉体の周りの音や景色、匂いなどから反射された 
たくさんの言葉たちは
紛れもなく「あなた」という一人の人間から出たものであり
それらが、一つながりの物語として、あるいは音楽として
姿を現し始めたなら、それが、その時その場の「あなたの詩」なのだと思います。


本当は、誰もが詩人(歌うたい)なのです。
言葉を持ったその瞬間から
声を発したその瞬間から
いえ、言語という贈り物を受け取った人間は
もともと誰もが、詩人であり歌うたいなのです。



学校で習ったこと
世間でもてはやされていること
偉人の言葉や権威ある人の言説・・・
そんなこんなは、「あなた」という存在とは何の関係もないことを
あらためて思い出しましょう。


そうして、「あなた」という存在を
言葉を発するものとしてではなく、言葉そのものとして
外に現してみたとき、いったいどんなことが起こるでしょうか?

・・・何も変わらない・・・


本当にそうでしょうか?


ふだん、特に自分の声に気を遣うこともなく
どんな言葉を使うかも、ほとんど無意識でいるけれど
その、無意識の海に語りかけてみたなら
きっと、なんらかの返事があると思うのです。
それは自分であって自分でないような、そんな声に聞こえるかもしれません。
私は、詩や歌というものを
そのような語りかけと、語りかけに応じて返ってくる声の
両方が互いに見つめ合い、いだき合うようなものだと思っています。

自問自答とか、脳内独り言とか、自分との対話ではなく・・・ね。

自分の声と自分の中の声が、抱き合って生まれる
新たな声・・・そんなイメージです。





語られる言葉から語る言葉へ   


神々が、かつて果てしない旅路の末に創造した言語という遺産を
私たちは存分に受け取り、その、受け取った言語を使うことで
世界を、今のありように作り上げてきたと言えるかもしれません。
私たち人間は、言葉の背後にある、言葉を構成する仕組みについて
何一つ知らないし、関与することもできません。
創造された言葉を使い、創造された肉体を用いて
これまた創造された自然界の物質を使うことで
今ある世界を形作ってきたのでしょう。

創造を行ったものとは、別の言い方をすれば
この時空間では見えないシステムを創り上げたもののこととも言えます。
もしも、言語の構造や自然界の物質すべての構造が
意識の構造とリンクしているのだとしたら・・・
そこに、創造したものと創造されたものの関係が
唯一見られる場所があるかもしれません。

非常に謎めき、緻密なまでの正確さで、ありとあらゆる多様性を含み
それでいてシンプルな基本構造を持って
極小から極大までを貫き、息づく「生命の素」。
物質のみならず、言語もまたそのような構造を見えない場所に持っているかもしれません。

だから、表面上の物質も言葉も、それらの構造によって表現された「結果」であり
その構造を創り出したものたちのことを、ここでは「神々」と呼んだわけです。
決して人格や姿形をイメージし得るようなものではありませんから
一神教の神だけでなく、多神教の神々もまた
その意味での「神々」とは程遠い代物と言えるでしょう。
人間が言葉によって概念化した「神」と呼ぶ存在は
とうてい、言語そのものを支える構造を創り上げたものであるはずがありませんから。
ここで言う「神々」の住まう処は時空の外なのです。


また、別の見方をすれば
言葉は、人間によって語られることを目的として
最初からプログラムされていたかのように見えるふしがあります。
綿密な計画性をもって生み出されたように思えるのです。
音声にしろ、文法にしろ
各々の民族で多様な変化を遂げながら
今もマイナーチェンジし続けている言語ですが
基本の音と文法の基礎は、その民族内で、太古の昔から
さほど大きくは変わらないのではないでしょうか。
しかし、その発生はというと、やはり謎ですね。
突然、必要にかられ・・・とか、あるいは偶然が重なって・・・とか
そういう理由で人間に言語がもたらされたと考えるのは無理がありそうです。
人間がこの肉体の形を獲得していく過程と密接に絡みながら
言語は人間を人間たらしめる必須の条件の一つとして
獲得されてきた過程があったのだと思われます。

初めから「語られる」ために生まれた言葉を用いて
私たちは人間の世界を形作ったのかもしれません。
言葉の側からすれば「語られるもの」として
また、人間の側からすれば「語るもの」として
言葉が存在していると言えなくもないでしょう。
ところが、人間の世界では
なんだか「言葉に語らせられている」のではないか・・・といぶかしむ場面も多々あります。
   こんな時はこう言う   
   つい言ってしまった   
などのわかり易い例ばかりでなく
ほとんど自覚なしに口にしている言葉は、どれもこれも
もしかしたら「言葉によって語らせられている」のかもしれないと
ふと、思うのです。

「語るもの」としての言葉とは
それを発する人間と、発せられた言葉との間に距離がない状態・・・
平たく言えば、言葉にその人の心が乗っている状態・・・
もっと言えば、名指した物(あるいは事)と人との一体化が起きている状態・・・
それが実現したものが「語る言葉」ではないでしょうか。


一方に「語られるために生まれた言葉」があり
また一方に、その意図を完成させるための「語る言葉」があり
その二つが、双方向から互いにぶつかりあい交差し合っているのが
この人間世界なのかもしれません。

しかし、「語る言葉」が「語らせられること」によって深く沈められてしまうと
無意味と言うわけではないけれど(それにはそれの重要な意味、役目もあるけれど)
極めて受動的な「語らせられる言葉」ばかりが横行する世界に生きなければなりません。
それは、かなり辛いことです。

「語られる言葉」によって語らせられるのではなく
「語られる言葉」を、積極的に「語る言葉」へと変換していく道を
探していきたいと思うのです。
その一つの道標として「詩」や「歌」は存在するのかもしれません。
私は、そういう意味で「詩」を捉えたいし
巧い(下手)とか、カッコイイ(ダサイ)とか、感動する(しない)とかに比重を置かず
自分の中の言葉の世界から他者視線をはずしていく方法の一つとして
詩を捉えてみてはどうかと思うのです。
逆説的ですが、上記の「巧い」や「カッコイイ」や「感動する」に目がいくほどに
深いところでの他者の共感は得られない気がします。
他者との共有世界からはずれた自分の視線こそが
本来の共感を生む基本条件なのかもしれません。



このサイトでは、「詩」を通して
自分を見つめたり、まだ見ぬ自分を見つけたり
そんなことを、サイトを訪問してくださった方々と
一緒にやっていけたらと考えています。

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海のうた ~詩作のススメ~

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